店長・菅田 -Works-



里葉風流の競盤風物詩


第11話 延びてゆく線と爆発する点 〜競盤ビジネス10年史(2001.1)


「“かんだべいがらてん”さんでしょうか?」「あ、は はいそうです…。」“ジスボーイ”をオープンする前に“(有)かんだ米穀店リサイクル部”名義のみでレコードを売っていた時には、このようなちょっと頭をひねる電話もよくありました。最近行われた某中古レコード店の通販ショップ人気投票でも、当店への投票とおぼしき“かんだ米びつ店”というのがあったそうです。オークション・リストの請求の手紙にも、たまに宛名が“かんだ米国店”となっていたりします。お米は、今やスーパーでもどこにでも売っている時代です。
若い人にとっては、米屋ならまだしも「米穀店」という言葉は、もはや死語と言えるのでしょうか。米と貝殻を売っている店や、いろんな種類のこめびつをマニアックに売っている店を想像して楽しんでしまわなければいけないほど、米屋はその存在意義を問われているのです。現在の大型店集中型に移行した商業形態の変化こそが、米屋でもレコードを売らなければいけない時代をもたらしたのではないでしょうか(半分マジ)。



レコードを本格的に売り始めた1980年代の末頃は、米屋にはまだ米屋としての威厳のようなものがあった気がします。“米穀店リサイクル部”として中古レコード業界に足を踏み入れたのも、単に奇をてらってだけのことではなく、そのような時代背景があったのかもしれません(と言うよりか、中古レコード業だけで食べていける自信がなかったというのが本音です)。10年近く働いた会社を脱サラし、家業の米屋を継いだばかりの人間が考えた“リサイクル部”はもともと一般の米屋との差別化を図るために作られたものでした。
最初は電気製品や進物品など幅広く扱っていましたが、そのうち好きなレコードに力が入るようになって行きました。レコード・コレクターとしてのささやかな知識を生かし、タウンページの「レコード店」・「電気店」(小さな町ではプレーヤーと一緒にレコードも売る電気店が多かったのです)に電話し、見込みのあるお店は広島県下全域くまなく回りました。当時は、音楽ソフトがレコードからCDへの転換期にあたっていたこともあり、面白いようにデッド・ストックのレコードが集まりました。

これも確か電気店に眠ってたのをゲットした1枚。800円ぐらいだったかな?



関西の老舗中古レコード店「フォーエバー」の雑誌広告に、その昔“今月のウルトラ廃盤レコード”というコーナーがありました。そこに何と私の持っていた「ジョン・レノン特別インタビュー/ニューヨーク編」が載っていたのです。このシングル盤は、確か『イマジン』のLPを買った時、中に入っていた応募ハガキを出して当たった懸賞のレコードでした。恐る恐る電話で問い合わせたところ、「あー、あれは12万円で売れてしまいましたよ」と軽い返事。プレミア・レコードの存在は知ってはいたものの、シングル盤に1枚10万円以上も出費する人がいるという事実は、当時の私にとって大きな驚きでした。広島の片田舎でも出来る“中古レコードの通販オークション業”に目覚めた瞬間でもありました。
開眼した私に、別のジョン・レノン・インタビュー・レコードを持っている人の情報が入って来ました。聞くところによると、こちらの方はLP『ジョンの魂』の懸賞品らしく、見せてもらったジャケットは、ヘルメットを被ったジョンの前でヨーコが机に伏せている何とも刺激的なものでした。「これは絶対オークションの目玉になる!」直感が走りました。何としても手に入れたくいろいろ思案した結果、“ちり紙交換”ならぬ“お米交換”による入手を考えつきました。当時のコシヒカリ70キロのインパクトは絶大で、「ジョン・レノン特別インタビュー/帝国ホテル編」はめでたく入荷とあいなったのです。
当時は懸賞に当たったという事実のみが嬉しかったのです。レコードから音楽が聞こえてこないなんて・・・。千円で売って欲しいとせがまれたら、きっと売ってたかも。



オークションをするには、やはり全国紙への広告が必要でした。当たるか当たらないか先のよく見えない事業に、無駄な出費は出来ません。私の持っていた“ニューヨーク編”を、某通販業者に売って広告費を捻出し、その年の夏に何とかレコード・オークションのスタートを切ることが出来たのです。内容は、県下を回って集めたデッド・ストックを中心に若干私個人のコレクションも加えたもので、ロック・ポップスのみならず、Chet Baker/『Sings』といったジャズの10インチ原盤やブルース・コレクターに人気のLightnin Hopkins/『Strums The Blues』のスコアー盤、はたまたElmore James,あきれたぼういず,豊年斎梅坊主などのSP盤までもが同居する実に奇妙なリストでした。
広告は『レコード・コレクターズ』に載せ、“ついに米屋がやった!!”とコピーも結構派手なものでした。今から考えれば、実に恥知らずとも言える赤面的行為でしたが、そのリストNO.1の表紙に「ジョン・レノン特別インタビュー/帝国ホテル編」を使ったという事実だけは、その後の当社の足跡の中でも、金字塔のごとく輝いたものとなっています。

恥ずかしのデビュー広告。笑わば笑え・・・・・・。 リストNO.1(邦楽編)の表紙を飾ったシングル。これがレアかどうかはそれほど自信がなかったけど、まずまずのビッドが来て胸をなでおろした記憶があります。



当社のオークション・リストのスタートにとって、この2枚のインタビュー・レコードは実に因縁深いものがあると言えます。25年も前に、それぞれ1000枚のみプレスされ、景品として配られた2種類のシングル盤。処分されたりして既に紛失しているものも多く、いったいどれだけの数が今現在残っているのでしょう。「ジョン・レノン特別インタビュー20万円以上で買取ります」という業者の広告も、最近では見慣れたものになってきました。あれから10年。この2枚のシングル盤は、ついぞお目にかかることがありませんでした。しかしながら、この仕事を続けて行く限り、今後何かの縁でこのレコードに出くわすことがないとも限りません。
かつては、“帝国ホテル編”がコシヒカリ7袋とトレード出来ました。10年前、広告費を捻出するために“ニューヨーク編”を6万円で売ったこともありました。その後高騰し続けたこのインタビュー・レコードを、これから先、私はいったいいくらで買い戻せばいいのでしょうか。


私が米の配達中に、面白い電話があったそうです。「捜しているレコードがあるんですが」「すいません、良く分かる者が今ちょっと配達に出ているので、」「え?レコードのですか?。」米穀店をとりまく悲喜劇は、まだまだ続きそうです。

ジャケットから迫って来るただならぬインパクト。ニューヨークの白が“静”なら、間違いなく帝国の黒は“動”(ビートルズは、黒がよく似合ってたなあ)。



3年前、「米穀店がレコードを売ることによって起こる悲喜劇」とタイトルしたこのコラムを添えて、当社の通販リストを請求された人を対象にレコード買取のDMを出したことがあります。1週間ぐらいして電話が入りました。「帝国ホテルのインタビュー・レコードを持っているんですが…。」驚きました。“今後何かの縁でこのレコードに出くわすことがないとも限りません”と書きましたが、反面、今後二度と買取りすることはないのじゃないか、という思いがあったのも事実です。それがDMを出して直後、ついに10年の年月を経て買取りの話が転がり込んで来たのです!。そして何より、コラムに対する反応であったことに大いに感動しました。
絶対にこの反応は無駄にしてはならない。“私はいったいいくらで買い戻せばいいのでしょうか?”嬉しさのあまり、気が付けば「40万円出しましょう」と、勢いで答えていました。業者が「20万円以上」という金額ラインを出すものに40万円なら充分だろうし、この金額でも売ってもらえないのなら諦めもつく、という我ながら実に自信に満ちたものでした。40万円なら損はないだろうと…。しかしながら先方の反応は決して快いものではありませんでした。即答を期待していた私は軽いショックを受け、この10年間における国内盤の高騰を嫌が上にも実感せずにはおれませんでした。



その後東京に出向き、先方と都内の某ホテル(帝国ホテルではありません…)のレストランで落ち合い、交渉の末、何とか40万円で売ってもらうことが出来ました。翌年のオークションでかろうじて45万という金額が付き、結果的に損はなかったものの、何故か気持ちに引っかかるものがありました。「いったい自分は何をやっているんだろう?。10年前に4万円相当(コシヒカリ70キロ分)で仕入れ10万5千円で落札されたレコードを今度は40万円という大金で買い直している。自分はこの10年で、何とクレイジーな中古ディーラーになってしまったことか。」
頭を冷やすべく自分への戒めにと、このインタビュー・レコードは無駄を覚悟で自分で持っておくことにしました(せめてもう10万円ぐらいビッドが高かったら売ってもよかったんだけど…。こらこら、戒めてない戒めてない)。これまでの経験で、帝国ホテル編が40〜60万円・ニューヨーク編が20〜30万円のコレクター需要があることも見えて来ました(だって、あのジョン・レノンの、数百枚しか現存しない30年以上前のレコードなんですから!)。今では単にアーティスト人気だけではなく、これまでにそのレコードを何回見たかということが、自分にとってのレア度を計る大きな目安となっています。



私が国内盤オークションを始めて10年以上が経過しましたが、この10年間は、正に国内盤におけるLPの帯・シングル盤ジャケットの評価定着の歴史であったように思います。国内盤におけるプレミア盤の存在は、それまで極一部のジャンルのコレクターにだけ知られており、決してレコード・コレクターにとって一般的なものではありませんでした。私自身コレクターとしては、帯付であろうとなかろうと関係なく国内盤を(安く)売っては海外の原盤に買い替えるようなことを長年していたような気がします。ただそれもあくまで洋楽志向の人のスタイルであり、邦楽に関しては、プレミア盤そのものがあまり存在していなかったように思います。
それがここ10年で梅木マリに象徴されるカヴァー・ポップスの再評価、海外にも多くのコレクターを持つまでになったグループ・サウンズの狂騰化,昭和40年代日本のロック・レア盤の激求化と、正に洋楽を凌ぐ人気です。洋楽についても、60年代の激レアな帯付に10万円以上の値段が付けられることも珍しくなくなって来ました。「里葉さんが激レア盤をたくさんリストするのでレコードが高騰した」などと言う人もいますが、あくまでもオークションはコレクター主導で価格が決定するもの。国内盤の評価定着は、必然の流れでもあったように思います。



昨今のお宝ブームは、それまでのプレミアム・グッズに対する評価を格段に引き上げた感があります。しかしながら世間一般のレコードに対する評価はまだまだ希薄で、レコードに拘る人は音楽ファン全体からしてもほんの一部にしか過ぎません。長引く不況を背景に、国内盤は、レアなものは益々高くなり一般的なレコードは益々売れなくなるという“空洞化現象”を起こしています。お店の学生バイト君に「アナログ盤の魅力は何?」と聞いてみたところ、「値段の安さ」と答えてくれました。いろんな音楽をたくさん聴いてみたいような若者にとっては、CDでは1枚2500円もする昔の名盤を、3枚1000円コーナーで容易に見つけられるアナログ盤の安さこそが魅力なのでしょう。そしてこれまで発売されたおびただしい数のレコードの中では、プレミア盤の割合などはほんの数パーセント程度のものでしょうし、未発掘の激レア盤などは正に点ぐらいの存在でしかないでしょう。
私はこの10年間、競盤ビジネスの線上に浮かんで見えて来た点を、凝りもせずに探し続けて来たような気もします。しかしながらその点(未発掘の激レア盤)に秘められたロマンこそは、我々1950年代〜70年代のヴィンテージ・ミュージック・フリークにとって限りなく魅惑的なものであり、気まぐれなマス・メディアからのアプローチいかんによっては、世間一般の人が抱くヴィンテージ・ミュージックに対する意識すら変えるパワーを持っていると信じています。早川義夫の著書『ラヴ・ジェネレーション』に鋭い言葉を見つけました。“線はのびていくことができるが、点はのびようがない。しかし、点は爆発する。”

この初回帯付なら軽く5万円は超えますが、再発ワーナー盤の帯なしなら同じアルバムでも300円で買えることも・・・。