店長・菅田 -Works-



里葉風流の競盤風物詩


第10話 信頼から感動へ(2000.8)


もし銀行借入が可能なら1億円借金してでも購入したいマシーンがあります。名付けて「レア盤探知機」。つまり、捜しているレコードがどこに眠っているかをすべて検索してしまうマシーンという訳です。「アーティスト」「タイトル」「レコード番号」の3項目を入力するだけでいいのです。たとえば「トニー・シェリダンと彼のビート・ブラザース」「マイ・ボニー・ツイスト」「DP−1254」と入力すれば、日本国内に存在している33枚すべての所有者及びその住所がリスト・アップされるだけでなく、
ビートルズのレコード・コレクターとして世界的に有名なUSAのガレス・L・ポロウスキー宅をはじめ、海外に流出した7枚の所在までがすべて打ち出されてしまうのです(枚数は推測にすぎません。あしからず)。そして8年前にこの「レア盤探知機」を私が持っていたなら、“たった1件の買取りで1億円の借金を返済する”という快挙を成し遂げていたことでしょう。



7年前のある日のこと、オークションのお客さんでもある福島のKさんの「リサイクル屋におもしろいレコードがいっぱい入ってますよ」という電話がすべての始まりでした。某放送局の放出品が大量に入荷したらしいのです。もともとそれらのレコードを管理していた倉庫会社が、大量のレコードを焼却したもののあまりの量の多さにたまりかね、どうやらその処分をリサイクル・ショップに委ねたようでした。気が付けば、知らせを受けた数日後にはコレクターのOさんを連れて「リサイクルZ」に飛んでいました。「レコードのためにわざわざこんな遠くまで来て、おたくらも好きだねえ」と店の主人に皮肉られながらも、レコードを保管しているという山小屋へ連れて行かれました。
その小屋は、「長時間いたら悪い病気に冒されてしまうのではないか」と思える雰囲気がありました。しかしながら、そのカビ臭い匂いの漂っている薄汚い小屋には、とんでもない量のシングル盤が運ばれていたのです。「リサイクルZ」の主人は、「自分は音楽には全然興味がない。たくさんお金を出してもらえれば、それだけうまい酒が呑めるんだからしっかり買ってよ」と、昔は多くの女性を泣かせたであろうその渋い風貌で二人に笑いかけるのですが、レコードの値付けは、リサイクル・ショップにしては何故か強気でした。

山ほど出て来たプロモ・オンリー盤の1枚。強気の千円に感謝。



シングル盤1枚千円という値段設定を無条件に与えられた二人は、さっそくレコードの選別に取り掛かりました。その小屋にあったシングル盤はほとんど80年代以降のものでしたが、すべてサンプル盤で当時人気のプロモ・オンリー盤がそれこそ山ほど出て来るのです。レコードを選別する同じ動作の繰り返しを、二人は昼食をとるのも忘れそれこそ4〜5時間立ったまま続けたでしょうか。これだけの長時間、しかもハイ・スピードでレコードを選び続けたことは、かつてありませんでした。Oさんは用意してきた軍手(さすがコレクター)で手際よく選別しているのですが、私の手はもはや真っ黒け状態。ずっと側で二人を見守っていた主人がギブ・アップしました。
300枚ぐらい拾い上げたところで、「おたくらも好きだねえ。きりがないから今日はこれぐらいにしよう。家に帰って晩酌したくなった」と打ち切られたのです。「今日はこれぐらいに」と言われてもそう簡単に来れないのにとその時は思ったのですが、その後も2回、結局トータル3回も東北の地に足を運ぶことになったのでした。今から考えるとあの小屋には、3万枚は優に越えるシングル盤があったように思います。しかしながら、私が小屋で見たレコードの山は、その「リサイクルZ」に持ち込まれたレコードの質的な全体像からすれば、ほんの一部でしかなかったのです。



「Zの主人から、私達以外に古いレコードを買ったコレクターの情報を仕入れましたよ」と興奮ぎみのOさんから電話があったのは、二人が山小屋から帰って1ヶ月ぐらいしてのことでした。関西在住のOさんは、私が通販オークションを始める前にリサイクル品としてレコードを売っていた頃から出入りしていた人で、長年に渡りレコードを求めて全国を走り回っている国内盤トップ・クラスのコレクターです。長年捜し求めていたレコードの情報があれば、1枚のために全国どこにでも飛び立つパワーを彼は持っています。「両手に持って買い歩けるレコードの限界枚数をはじき出し、それに見合うシングル・LP両用の布袋を特注で作らせた」とか、「家にはアナログ・プレイヤーしかなく、CDやテープ・デッキ類も持っていない」など、とにかく半端ではないのです。かと言って、人から嫌われるオタクな性格では決してなく、そのコレクション道に賭ける姿勢や伝わって来る音楽への愛着は、私にとっても好感の持てるものです。
長年のコレクターとしての直感が働いたのでしょう、その後単独で「リサイクルZ」に出向き、金銭で主人から情報を得たようでした。それによると、Oさんと私が山小屋で買い付けする前に、昭和30年代から40年代にかけての大量のシングル盤やLPが4人のコレクターに買われ、そのうちの2人TさんとSさんの所在を突き止めたと言うのです。昭和30年代をメインとした和物コレクターであるOさんは、邦楽を主に手に入れたSさんと交渉し何枚かトレードしてもらったようで、今回の「リサイクルZ」の買取りに同行依頼した私へのお礼にと、洋楽を主にゲットしたTさんの情報を電話で教えてくれたのでした。さっそくその夜Tさんに連絡を取り、購入したレコードの内容について事細かく聞いてみました。その内容を聞き終えて、「これは凄いことになるぞ!」とかつて例のないボリュームの大きさとグレードの高さに興奮してしまいました。買取額によっては放出も可能というTさんの反応に大喜びしたものの、大きな難題が一つ残されていたのです。

初めて来店したOさんが、値段を付ける前に1万円で買って帰ったEP盤。13年前の"1万円"は、私にはインパクトあったのです。



レコードを仕入れる手段が金銭である場合、これは考え方によれば以外に楽と言えます。コレクターからの仕入れの際によく要求されるのが、レコードとのトレードです。Tさんはどうやらビートルズ・コレクターのようで、何と今回のシングル盤放出に関してトレード・オンリーという厳しい条件を出されたのです。ただTさんとのトレードで救いだったのは、トレード希望のレコードに海外盤も含まれていたということです。取引額の高低は別にして、個人的にはアメリカ盤の“ブッチャー・カバー”より国内盤の“半かけ帯付”の方がレアなような気がします。
ビートルズの欧米盤に関しては、海外のプライス・ガイドがしっかりしており業者間の流通もスムーズであることから、代表的なプレミア盤である“ブッチャー・カバー”もある程度お金を積めば手に入る状況にあります。それに対して、「百万円で半かけ帯付が欲しい」と言われても、すぐに案内出来ない国内盤中古市場ならではの未成熟な現状があります。Tさんのトップ・ウォントのレコードに、“ブッチャー・カバー”のファースト・ステイト・ステレオ盤というのがありました。要するに、発禁処分で回収しそこねたLPのレアなステレオ盤という訳です。Tさんの話から判断して150万円以上の評価をされているのが分かりました。

R&Bの原盤コレクターでもある私にとって、この日本盤の発見はショックでした。



喉から手が出るほど欲しいレアな国内盤の山を前にして、指をくわえて見ている訳にはいきません。「よし、これを何とか手に入れてお宝シングルのトレードを狙ってやろう。」そう決心した私は、さっそくオークションのお客さんでビートルズ海外盤に詳しいGさんに電話しました。「ブッチャーのファースト・ステイトのステレオ盤で状態のいいものを捜して欲しいんですけど」「分かりました。何とかしてみましょう」1週間してGさんから電話がありました。「コンディションがいいものを見つけましたが高いですよ」「いくらです?」「125万円です。それに海外に送金しないといけないので先払いになりますよ」さすがに即答しかねました。先に代金を払ってから商品を受取る、というのが中古レコード通販の常識であるのはよく分かっていました。
私自身、180万円の代金を受取って後レコードを送った、という経験があります。しかしながらいざ買う側に立ってみると、金額的にもリスクの大きさは計り知れません。中古レコード通販業というものは、顧客との信頼関係をベースに成立していることを実感せざるを得ませんでした。お客さんであるGさんを信用することにしました。「お願いします。明日送金しますので。」かつてない危険な仕入れを決断させたのは、やはり未知なる国内盤に対するただならぬ執着であったように思います。一種の賭けでもありました。そして2週間後、無事“ブッチャー・カバー”は私の元に届き、さっそくその週末に東北へ飛んだのは言うまでもありません。



Tさんの住むN町の駅に降り立った私は、めくるめく予感に打ち震え、自分を待ち構えているであろうレコード達に対する高揚を記録すべく、視界に入っている駅前の風景に向かってシャッターを切るのでした。しばらくしてTさんが車で迎えに来ました。車の中で音楽談義を楽しみながら、「人間にとっての幸福とは、こういう状態のことを言うのではないのか」という想いが一瞬頭をよぎりました。家に着くとさっそく居間に案内され、小分けにされたダンボール箱がTさんによって次々と運ばれて来ました。まずはTさんの余技でピック・アップしたと思われるロカビリー・カバーポップス関係の箱。山下敬二郎・ほりまさゆき・麻生京子など、人気盤が目白押しです。
とにかく驚いたのが、そのコンディションの素晴らしさ!。30年以上も前のものとはとても思えない盤の光沢と、たった今印刷所で刷り上げたと錯覚してしまうほどの張りのあるジャケット。その秘密はレコードを収納している厚手の紙袋にありました。この放送局がレコードを管理するために作った厚手の紙袋は秀逸で、ビニール袋がカビを発生しやすいのに対し、ほどよい紙の厚さが湿気を吸い取るのに最適だったようです。自分の中にそれまであったコンディション基準が、1ランク切り替わるのを感じました。続いてGSや日本の初期フォークやロックの箱、そして本命の洋楽は圧巻でした。

Tさんがカレッジ・ポップスと間違って残していた1枚。プレイボーイ3枚を含むマイナーGS200枚は既に某店で売却済みとなっていました。
ああ・・・。



オールディーズでは、国会図書館にも資料が欠落していたようなエヴァリー・ブラザース/恋の願い<DP−1176>やデル・ヴァイキングス/ピストル・パッキン・ママ<NS−72>のようにそれまでコレクター間に存在が認知されていなかったようなものまで、ウルトラ・レア級がかなりありました。60年代〜70年代ロックでも、激レア・クラスの盤がそれこそ百枚ぐらいはあったように思います。人気のアップル・レーベルに関しては、コレクター垂涎のアイビーズ/いとしのアンジー<AR−2354>をはじめ、ほとんど連番であるぐらいのインパクトがありました。Tさんからは1枚ごとの値つけを指示されました。幸いなことにこれは私のお家芸で、買取り訪問した場合、数千枚単位のレコードであろうともすべてのレコードを値段別に分けそれぞれの値段で納得されたものだけを売ってもらう、というのが私のやり方です。
時間はかかりますが、それが一番良心的だと思うのです。“ブッチャー・カバー”はTさんとの話合いで180万円に設定させていただき、その分しっかりとお宝シングルの評価を付けさせてもらいました。レコードの買取り額は、今回分だけで(一部なのです!)優に300万円を超えていましたが、私の熱意(執着?)を汲んでいただき、残金分は今後もトレードのレコードを案内して行くということでキープしてもらうことにしました。その年に開かれた大阪レコード祭りでは、当店のシングル大量入荷の噂を聞いたコレクターが東京からも多く駆けつけ、セールは大盛況でした。



レコードが大好きな人間にとって、レコードの買取りはいつもワクワクする気持ちが伴うものですが、あくまでも商売である以上、厳しい現実があるのも確かです。2年前、レコード買取りの電話にたまたま留守番をしていた私の母親が出たことがありました。東京からフリー・ダイヤルでかかって来たものでしたが、母親が「今レコードのことが分かる者は自宅にいますので、そちらの方にかけてもらえますか?」とお願いしたところ、「自宅にはフリー・ダイヤルがないじゃないの!そんな対応じゃいけないでしょう!」などと怒鳴られ、こちらからかけ直させると言う申し出にも耳を貸さず、結局延々10分近くも説教されてしまったのです。
“東京からのフリー・ダイヤルで早口の喋り方”という特徴に、思い当たる節がありました。その人は以前買取りをしたことのある人で、その時も「1万円以上の買取額になれば着払いも可」という当店のシステムに拘って、フリー・ダイヤルであるのをいいことに「あれはどうだ、これではだめか」とかなりの時間をかけて1万円のラインに何とかこぎつけたのでした。しかも送って来たダンボールの梱包は、大きな箱に無造作にレコードが入れられており、「送料がかからないんだからいいや」といったラフな性格が見え見えのものでした。

先月Oさん宅を訪れた時みせてもらった浜村美智子のレア盤「パラダイス」。雪村いづみのデビューEP(1954年発売)が、12枚もあったのには驚きました。



中に入っていたレコードはコンディションから判断して1万円はきついと思われましたが、その人とあれこれ言い争う気にはとてもなれず、これを最後にという気持ちで渋々1万円送金したのでした。その人からはその後もたまにフリー・ダイヤルで(とにかく超倹約家なのです)買取りの問合せがかかって来ましたが、私の冷たい反応を察してか、そのうち電話して来なくなりました。半年前、忘れかけていたその人から突然買取の電話がかかって来ました。受話器をとったのは、運の悪いことにまたしても母親でした。例によって例の説教が10分続き何とか夜に私から電話させることで了解を取ったものの、母親もさすがに意気消沈してしまいました。指定された7時半にかけた私の電話を受けるなり、その人は例の早口で売りたいレコードの内容をまくし立て始めました。
買取りに関しては、これまで人一倍気をつかって来たつもりの私ですが、さすがにキレました。「いいかげんにして下さい。いったい何なんですか。電話代を使うことがそれだけ大きな問題なんでしたら、東京の中古屋に電話して買取してもらえばいいじゃないですか。母は70才を超えてるんですよ。そういう人間にレコードの買取の話をいくらしても仕方ないでしょう。あなたが仮に「マイ・ボニー・ツイスト」を1万円で売ってやると言っても、私はあなたからは絶対にレコードを買いませんから!。とにかくもう電話するのはやめて下さい。」



信頼関係がベースとなった買取りでなければ、いくら大きな利益が伴うものでもやはり寂しい気がするのです。あるお医者さん宅に買取りに行ったことがありました。自宅のレア・コレクションとは別に一般的なものが倉庫に大量にあり、それを整理するための買取りでした。査定を始めたのが遅かったせいもあったのでしょう、1枚ごとの査定評価が50万円に達した段階で既に夕方になっていました。まだその時点ではかなりの量の未査定レコードが残っていましたが、相手の雰囲気から判断して、全部で50万円でもOKが出るのは長年の経験で分かっていましたが、「今日中に終わりそうにないんですが」と気が付けば素直に答えていました。
「じゃあ病院の宿舎がありますから泊りますか?」親切のつもりが、これではかえって迷惑というものです。それでも次の日は早起きして、何とかお昼までに100万円の査定を出すことが出来ました。自分の知識が不足したものであれば仕方ありませんが、自信のあるものには精一杯出費する覚悟があってこそ、結果としてコレクターへ与える感動も大きいと思うのです。善いことをした後は気持ちのいいものです。重量オーバー(悪いこと??)で詰め込んだレコードのせいでハンドルは重かったけど、何故か爽やかな帰りのドライブでした。



普段は悪い意味で使うことの多い「因果応報」という言葉が、いい意味で身に沁みる時がたまにあります。1年後『ローマ法王とマリファナ』の買取りの電話をして来たEさんこそ、他ならぬそのお医者さんだったのです。
「レア盤探知機」で検索した福島の倉庫会社と交渉し1億円以上で売れるものを仕入れる“夢”もいいが、信頼から感動を生み出す“現実”も捨てたものではないと思うのです。