店長・菅田 -Works-



里葉風流の競盤風物詩


第5話 忘れじの人々(1999.10)


「売りたいレコードがあるのですが・・・」すべてが1本の電話から始まります。「梅木マリのシングル盤が10枚ぐらいと、確か10インチ盤も1枚あるんですが、全部でいくらぐらいで買ってもらえますか?。」「ええー!スゴイですねー」と感動の声を挙げながらも、電話の声が妙に若いのが気になります。梅木マリのレコードは、どんなものでも中古屋が1万円以上出すのが今や常識となっていますが、敵はその弱みを突いてくるのです。「10枚だったらほとんどじゃないですか。」「ええ、何か歌謡曲の1枚がないみたいです。」歌謡曲というのは、未発見レコードの「白ゆりの丘」のことでしょうが、このあたりが妙にマニアックかつ本当らしく伝わって来るのです。よく勉強している。「それにしても年齢的に当時買ったってことはないでしょうねえ?。」「父が大好きだったらしいんですよ」
やはりそう来たか。昔だったら大感動の嵐だったのですが、長年の経験で最近は、おいしい話にはついつい疑ってかかるクセがついてしまっていけません。「それじゃあ、きちんと計算してみますので、電話番号をお願い出来ますか。」「090−〇〇〇〇−〇〇〇〇です。」ハッキリ言います。買取額の回答先が携帯電話だった場合、成果に繋がったことはまずありません。10インチ盤は10万円出せると計算して、トータルで50万円は下らない。本当かよーと、ほぼ絶望視しつつもとりあえず電話してしまう私です。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」と(半ばあざ笑っているかのように聞こえる)女性の声。最近はこういう場合、「おかけ」だけ聞こえたら切ってしまおうかと身構えている、スレてしまった私です。

極美品にかつて30万以上の値が付いたことも...。



人間不信になったジョンが、『ジョンの魂』の中で「ビートルズも信じない。信じられるのは僕とヨーコだけ」と歌っていますが、中古業界に長い間身を置いていると、そういった心境になることが多々あります。忘れられない人の一人、関西のIというおじいさんからの電話はこうでした。「昔から集めてきたレコードが多くなりすぎて困っている。大事にして来たレコードだが、おたくは高く買ってくれそうなので見に来てくれんか。珍しいものも結構ある。」70を越えていて、若い頃から集めたレコードが5千枚以上もある!。喜び勇んでスタッフ2人を連れ、4時間かけてトラックで乗り込みました。本当に凄い量のレコードでした。決してその場を離れようとしないおじいさんの監視のもと、3人で手分けして、必死になってレコードをチェックしました。
しかしながら、見れども見れども出て来るのはクズ盤ばかり。しかも同じものが何枚も出て来るのです。たまりかねて「どうして同じものが何枚もあるんですか?」と聞いてみても、「まとめて買ったりしていたから、ついついダブッてしまって」と説得力のない返答。2時間が経過し、さすがに疲れ切った3人は昼休憩をとることにしました。「食事は私が案内しましょう」と大衆食堂っぽいところへ連れて行かれ、その上同席されては内輪話も出来ません。食事中も「息子が医者をしていて・・・」と、自慢話の相手ばかり。30分の団らん(?)を終え、家(と言うより倉庫)に帰って、またしても仕事の続行。3人が汗だくになっているのを見かねて、「ジュースでも飲みなさい」と缶ジュースを買いに出かけたのを見計らって、「これヤバイよ、同業者臭い。いいかげんでけりをつけよう」と3人結論を出す。

クズ盤の中から救い上げた1枚。じいさん、いったいいくらで売ったんだろう?



ジュースを飲みながら「いやー、厳しいですねえ。やっと選んでこの200枚で15万円が精一杯です。」とたんにオヤジさん険しい顔になって「そんな値段じゃとても売れない。全部で200万円でどうだね。損はないと思うがね。」ばっ、ばかな!奉仕団体じゃないんだぞ!「申し訳ありませんが、私の電話での詰めが甘かったようです。残念ですが、取引なしということで失礼させてもらいます」囚人護送車のごとく暗いムードのレンタカーで、3人家路に向かうのでありました。翌日、関西の知り合いの中古屋に聞いてみると、やはりIさんは同業者でした。「前もって聞いてもらえれば、よかったのに」と中古屋のOさん。でも悲しいかな、こんないい話(と思った)は、他の中古屋には前もって話せないんだなあこれが。
1ヶ月ぐらいして、何とIさんまた電話して来た。「あれから、また別のレコードがたくさん出て来た。見に来んかね。」私が労力をかけて選んだ200枚を、どうやら店で完売したらしい。Oさんの話によると、じいさん年をとってしまって、今の売れ線のレコードを自分でチェック出来ないらしいのです。売れそうなものを、またチェックさせようという魂胆だ。頭に来た。「〇〇レコードさんでしょ?知っているんですよ。」キツく言い放ったのも束の間、「来ないんだね」ガチャ!な、何という無礼な・・・。



忘れられない人の中でも、九州のTさんは特別です。歴史の重みがあります。3年前のことでした。「フリー・マーケットで、状態は悪いんですけど、かなり古いレコードがいっぱい入っている箱をまとめて買ったんですが」若そうなのに、落ち着いた話し方をする人でした。「プレスリーの珍しそうなのが2枚あって、1枚は「忘れじのひと」でESナンバーのシングル、それともう1枚はその宣伝用の片面盤シングルなんです。」「ほ、本当にESナンバーですか?!。」私の興奮を隠し切れない声にも一向に動じず、「ええ、でも状態がボロボロで、盤は割れてますよ」と淡々と答える。盤なんかどうでもいい!私の興奮は治まりません。「忘れじのひと」<ES−5035>の存在が最初にクローズ・アップされたのは、何と言ってもエルヴィス出版会が出した『エルヴィス・プレスリー日本盤レコード・ジャケット大全集』というオール・カラー本ででしょう。この日本でのデビュー・シングル盤は、1956年5月7日に発売されたもので、45回転ドーナツ盤が日本で売られ始めた時期的な混乱もあったのでしょうか、この写真集には、ジャケットが欠落していて、盤のレーベルのみの写真が掲載されています。
大御所の湯川れい子氏も関わっているこの本、出版されて既に10年以上が経過したというのに、未だこの幻のジャケットは表面化していないのです。死後20年以上経過した現在でも、本国アメリカでのプレスリー人気は、衰えることを知りません。最近の米国好景気も手伝って、サン時代の5枚のシングルは、相場がうなぎ登り状態とも聞きました。ビートルズと並んで、各国盤コレクターの多いプレスリー。それでなくとも、ここ数年世界各国のレコード収集家から注目されている日本盤です。このジャケットの発掘は、コレクター界に大変な反響を呼ぶのは間違いありません。他にも、ビートルズの「アイム・ア・ルーザー」<OR−1190>やスモール・フェイセスの「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ」<HIT−539>のように未発見ジャケ(盤のみ確認されているもの)の存在は結構あります。商業音楽ゆえに軽視されて来た、その歴史的背景から来る資料不足。「ジャケットは存在しない」とハッキリ断定出来ないところにこそ、商業音楽レコードの神秘性が潜んでいるとも言えるでしょう。

なんとオール・カラーで5000円です。しかしながら1冊売れるごとに赤字が増えるという金のかかった本なのです。



今回Tさんが手に入れたというレコード、冷静に考えてみればもう1枚の宣伝盤も凄いのですが、正規盤の未発見レコードほど、我々レア盤発掘人にとってロマンを掻き立てられるものはありません。Tさんの説明では、「忘れじのひと」のジャケットは、ジャケットの存在している他の2枚のES盤と似たトーンの別ジャケットで、何と、あまり見かけない写真を使ったものらしいのです!。「ジャケットだけでもコピーして貰えませんか?。」「いやー、それはちょっと」と冷たい反応。「いくらぐらいなら売ってもらえますか?。」「プレスリーも嫌いじゃないんですが・・・。うーん、トレードなら出してもいいですよ。」「どのあたりのものを探してるんです?。」「ユージローの初期のシングルが、もう2〜3枚欠けていますので。」
「ユージローって、石原裕次郎ですよねえ?。」「ええ、「アナスタシア」か「追想」のどちらかなら、トレードOKです。」それからは、必死でこの2枚のレコードを探しました。あちこちにウォントし、広告にも"5万円で買います"と載せました。確かに1950年代のシングル盤は、歌謡曲(この2枚は一応カバーです)でもレアと言えますが、このトレード物件がなかったら、せいぜい1万円の買いが限度の代物です。しかしながら今回の場合、相場への悪影響を考慮しなかったら、10万円以上出してでも買う価値があったと言えるでしょう。全国にまたがる歌謡曲コレクターのコネクションを駆使して探しましたが、どうしても見つからないのです。これほどヘヴィーなアイテムとは知りませんでした。

このジャケット、二度と見ることないだろうなあ。



半年ぐらいが経過したでしょうか、ほぼ諦めかけていた頃、歌謡曲コレクターから1本の電話が入りました。「SP盤の「アナスタシア」なら見つかりましたよ。ジャケットは、シングル盤と兼用のものです。」Tさんが、「アナスタシア」のシングル<NS−25>の盤だけは持っているのを知っていたので、悩んだ末に3万5千円で買ってしまいました。それからがTさんとの長い長―い攻防戦の始まりでした。電話をすれどもすれども、本人と繋がらなくなったのです。たまに奥さんに繋がっても、「仕事が忙しく、帰りが夜中になることが多いので」とあまり相手にしてもらえません。あくあでもレコード道楽は本人の問題で家族はノー・タッチ、というのがこの世界の常識です。あまり奥さんを巻き込むのもいけません。しかしながら、電話してもらうようにお願いしても一向に返事が無いのです。文書での依頼にも、何ら無反応です。
遠慮がちに適当なインターバルを取りつつ折衝し続け、気が付けば1年が過ぎていました。私もいけなかったのでしょう。断ち切れない想いを引きずり過ぎました。同業者でTさんをよく知っている人の「彼は若いが、男気のあるいい奴です。」という言葉を信じて来たのですが、もう我慢の限界でした。ある晩決心したように、奥さんにこれまでの経緯を怒りを持って訴えました。すると奥さん、「あのレコードはもう手に入ったように、主人が言ってましたよ」とさらっと答えるのです。もはや家族ぐるみのようです。自分でトレード条件を出しておいて、本当に手に入ったのならハガキの1枚でもよこしたらどうだ!これまで何回電話したと思ってるんだ!冷静に考えれば、ジャケットのコピーを拒否された段階で虚言に気付くべきでした。最後には、怒りを通り越して、自分がだんだん情けなく思えて来ました。



1年ぐらいが過ぎたある日、オークション・リストに載せるレコードを物色していたところ、未整理のダンボール箱から「アナスタシア」のSP盤が出て来ました。忘れかけていました。あの時すぐに別の歌謡曲コレクターに売らなかったのは、買い値が高すぎて商売にならなかったからだけでなく、まだどこか心の片隅に、「忘れじのひと」への未練が残っていたからでしょう。ジャケットをじっと眺めて、ついに決心しました。損を覚悟でオークション・リストに載せることにしたのです。もやもやした想いとの決別宣言でもありました。結果は2万8千円で落札し、九州のKさんから早速現金書留が送られて来ました。Kさんは新しいお客さんで、今回の申し込みが初めてでした。現金書留の中にあった手紙に、「レコードは会社の方に送って下さい」と鉛筆でメモが書かれてありました。
鉛筆書き!!!とっさにピーンと来ました。以前オークションに申し込んでいたTさんが鉛筆書きだったのです。会社の同僚に名前を借りて、代行させたに違いない!。これだけのレア盤を苦労して仕入れさせておいて、簡単に(損害を与えてまでして)手に入れようというのか!。メモのサインも極似しているのです。気が付けば、会社に電話していました。「Tさんはいらしゃいますか。」「今外出していまして、お昼には帰ると思います」やっぱりだ!直ぐに電話を切ってしまいました。Tという名字は結構珍しく、単なる偶然とはとても考えられません。話す内容を整理してから、夕方会社に電話したらKさんと繋がりました。



やはりTさんは同一人物でした。Kさんは、Tさんとはコレクター仲間であり、同じタイプのものを集めていることを強調するのですが、どうも納得がいきません。とりあえずフリー・ダイヤルでもいいので、とにかくTさんに電話してもらうように念を押して電話を切りました。一旦夕食を取りに家に帰り、どうせかけては来ないと思いつつも、とりあえず9時頃店に出てみました。雑用をしていると、電話がかかって来ました。Tさんからでした。何年振りだろう、そんな感じでした。これまでTさんが私にして来た仕打ちに対する説明を、徹底した姿勢で求めました。Tさんは、以前と何ら変わらない落ち着いた話ぶりで、ジャケットのコピーを中古業者の商法で騙されたことがあり、コピーに対して拒否反応してしまったことや、「アナスタシア」を入手した経路、ずっと連絡しなかった理由などを、すべてにおいて物凄い説得力を持って説明されました。
2時間近い話を聞き終え、私は確信しました。これは本当の話だ。「忘れじのひと」は、間違いなく存在する!。私の納得を遮るように、Tさんは話を続けました。「それがこの間の豪風雨で水害に遭い、3000枚のコレクションが全部水に浸かってしまったんですよ」「ええ?。」「ジャケットと内袋がぴったりくっついてしまい、見るも無残な姿になってしまいました。ただ、糊付のビニール袋にレコードを入れていたので、かろうじてジャケットは確認出来るとは思いますが・・・」今はまだ家財の掘り出し作業などでバタバタされているようで、あれこれ言うのも大人げない気がしました。もうどうでもよくなりました。存在することが分かっただけで充分でした。九州の中古屋に聞いてみたところ、「福岡でも初めてぐらいの凄い雨でしたよ。レコードだめにしたコレクターも多かったですよ」と、ダメ押しの返事が返って来ました。



今回の大発見スクープを自慢すべく、エルヴィス出版会のSさんに電話して「忘れじのひと」の話題を持ちかけてみました。「いやー、まだ見つかりませんねえ。」「誰か持ってると言う人の情報はありませんか?」「3年前位でしたか、九州の若い人から手に入ったと言う電話がありましたが、コピーを頼んでもして貰えず、それっきりですね。」「ええ?・・・。」「きっと嘘でしょう。」「・・・・・。」中古業者でも何でもないSさんも、コピーを拒否されていたのです。
その瞬間、私の鉄のような確信は、一瞬にしてはかない水泡と化してしまいました。「でも、最近物凄いレコードが手に入りましてね。60年頃に、日本ビクターが米軍基地用にプレスリーのシングルを作っていたんですよ。こんなレコード、今まで誰も知りませんでしたよ。何が出ているか分かりませんねえ。」それ以来、Tさんの話は9割方疑っています。でも、残り1割に微かな望みを託しているのも事実です。何が出ているか分からないのですから。

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