店長・菅田 -Works-



里葉風流の競盤風物詩


第3話 不遇時代のレコード達と同級生浜田省吾君のこと(1999.7)


中古レコード業者にとっての一番大きな課題は、いかにしてニーズに応じたレコードを継続的に仕入れて行くかということでしょう。CDと違って、レコードはもはや現行のものではなく、当然その仕入れには苦労が伴います。外国盤ならある程度のルートがあれば現地買い付けという方法もありますが、それが国内盤の60年代〜70年代もので、しかも人気のあるレコードとなると、その仕入れは並大抵の努力ではとても叶えられないものがあります。
ありきたりの「レコード高価買取りします!」といった広告だけで、30年以上も前のレアなレコードが入荷する可能性は、今や皆無に等しい状況と言えるでしょう。そういった厳しい現実を踏まえながら、中古レコード業者の様々な苦悩に満ちた秘技が生み出されて行くのです。



私が買取でよく使う方法に、「マガジン・タイムマシーン買取法」というのがあります(誰が付けたの?そのヘンテコな名前・・・私です)。これは、音楽雑誌によく設けられているペンパル募集・バンド募集・レコード交換・ファンクラブ案内・作詩コーナーなどに掲載されている人に、その住所を手がかりに電話番号を104案内で調べ、電話で直接レコード買取交渉する方法です。ただし30年も前の雑誌が中心になるため、既に住所変更している人が多く(住所表示そのものが変更していることも多い)、これで獲物を射止めるにはそれ相当の根気と古いレコードに対する尋常ならぬ執着、そして何よりヒマがなくては出来ないことを頭に入れておいていただきたい。なぜ電話かと言うと、往復ハガキだと先ほどの住所変更がネックとなってそのほとんどが“住所に訪ね当たりません”ということで返却されてしまうのがオチだからです。仮に相手に届いたとしても、当方の主旨がどれだけ理解されるかは、活字依頼によるインパクトの弱さからして、はなはだ疑問です。
104案内により、雑誌掲載時の住所と今現在の住所(あくまでも当人の実家の住所という意味です)が一致しているかどうかが確認できます。一致していた場合は、仮に当人が転居していても、物を売りつけるのとは逆のセールスのため、実家の家族から転居先の電話番号を聞き出すことは、意外と容易なのです。直接本人と話すことによって、こちらのレコード買取りに対する熱意がダイレクトに伝わるメリットは非常に大きいと言えます。「すみません、30年前の音楽雑誌でお名前を拝見したのですが、まだその頃のレコードをお持ちではないでしょうか?ものによっては高く買わせていただきますので・・・」。30年前の自分のレターに共感(?)してかかって来た電話に対する一様な驚きと戸惑いが、その後伝わって来ます。ほとんど記憶が途切れかけている人もいますが、タイムマシーンに乗って30年前の過去からやって来た電話の声に感激し、懐かしき青春の日々の思い出話に興じる人が圧倒的に多いのは、同年代の私にとっては嬉しい誤算でした。ただレコードはもう1枚もないのが話の内容から分かっていながら、思い出話に30分も付き合ってしまった時には、さすがに自分のお人好しに閉口してしまいました。

バブル期に百万円以上で売れたというウワサの帯付LP。あくまでウワサですが...



『ザ・フー,キンクス,ヤードバーズ,スモール・フェイセス,バーズ等、実力はバツグンなのに日本では余りパッとしないグループを応援している19才の女の子。これらのグループを応援していてよく知っているロング・ヘアの男の子と文通を希望します。(学生ョ。)』(「ティーンビート」1967年7月号)
ウッ、これはイケル!と思いきや住所が“愛知県知多郡大府町大根151の1 おおね荘内”となっていれば諦めざるを得ません。30年以上も前に住んでいた学生の情報など聞き出せるはずもないではありませんか。ましてや「おおね荘」そのものが現存しているのかどうかも疑問です。



『載せてくれなきゃもうTB買わないわよ!私は15歳。ポップ・ファンに誰が好き?と聞くと、ウォーカーズ,ビートルズ,おさるさん、答は大体決まってる。WBなんて一度日本へ来たからって珍しがってんだから長生きするよ。最近のビートルズの曲はなんだい。昔はよかったけどもう年だね。猿も最低よ。私の好きなのはSDG,バーズ,フーetc。とにかく実力のないのはみんなダメってこと!なんてえらそうなこといってるけどホントはねぇ、スコットとデビットが大好きなの。ゴメンネ、字はへただけど返事なるべく書くから手紙ちょーだい。なお私はちょっと変わっています。』“福岡県三猪郡三猪町 ○○留美子”(「ティーンビート」1967年9月号)
ちくしょう!レコード人気の高いグループばっかり最初に書いて期待させておいて、これだからミーハーの女の子は信用出来ないんだ!。でも今どうしてるんだろうね47才の留美子ちゃん。もう少し年をとってヒマが出来たら、仕事を離れて電話してみてもいいかな、なんてね。経験上言えることは、おおむね女性の場合、あまり買取成果は期待できないということです。ただ以前、福島の女性に嫁ぎ先までコンタクトを取り、バッドフィンガーの帯付LPを4〜5枚ゲットしたこともありますのでいちがいには言えませんが・・・。



『高一で16才。クリフ・リチャードとシャドウズを尊敬するハンサムでカッコイイ(身長5フィート6インチ股下2フィート9インチ)男の子。クリフの好きな目のきれいな髪の長い(長くなくてもよい)可愛い女の子(写真もそえて)お便り下さいね。』“高知県南国市 ○○幸雄”(「ミュージック・ライフ」1967年2月号)このように、いくら男性でレコード・ハントの可能性があっても、電話するのを躊躇してしまうような内容のものも結構あります。
104照会で確認したところ、本人である可能性のある人が5人浮かび、その全員に電話して結局本人が見つからなかったり、同じ人がいろんな雑誌に投稿していたことに気付かず、同一人物に何度も電話して恥をかいたり、電話する寸前に同業者であることが分かって冷や汗をかいたりと、「マガジン・タイムマシーン」も結構苦労が多いのですが、そうやって捜しあぐねた末に獲得したレコードは、何物にも替え難い重みがあります。この買取法はかれこれ8年ぐらい続けてきて、これまで相当数のグッドな買取をすることが出来ました(波に乗ってた時期は、1ヶ月に10件以上買取したこともあります)。現在に至るまで、「ミュージック・ライフ」「ティーンビート」を筆頭に、「ヤング・ミュージック」「ポップス」「音楽専科」と、60年代を中心としたポップス誌のほとんどにアタックして来ました。最近は、マイナーな同人誌などもリサーチしています。



『LPベンチャーズ/アナザー・スマッシュ,アニマルズ/トラックス,ポップ・ギアー,シュープリームス/ベイビー・ラブを持っています。ヤードバーズ,ビートルズ,ビーチ・ボーイズのLPと交換希望。』“岐阜県大垣市 ○○博人”(「ティーンビート」1967年3月号)この内容で、フーの「マイ・ジェネレイション」<SDL−10271>の帯付LPや初来日時のビーチ・ボーイズ全員のサインがある「サーファー・ガール」<CP−7433>のLPが入手出来たのですから「マガジン・タイムマシーン」はやめられません。
「ミュージック・ライフ」1969年9月号の“MLマーケット,レコード交換コーナー”をチェックしていたらおもしろいレターが見つかりました。『LP「イースト・ウエスト」P.バターフィールド,「20/20」ビーチ・ボーイズ(無傷)を、LP「B・ボーイズ・トゥデイ」「カリフォルニア・ガール」「サーファー・ガール」B・ボーイズと交換して下さい。』“広島県呉市 浜田省吾”

日本盤LPにメンバー全員サインがあるのはレア。が、初来日の時のためブライアンのサインはなし、残念!



“ハマショー”こと浜田省吾君とは、何の縁か中学・高校のみならず予備校まで一緒でした。同じクラスだった中学1年当時は、1960年代の真っ只中。クラスのほとんどが西郷・舟木の青春歌謡を聞いていた時代です(カバー・ポップスも既に下火でした)。「ビートルズ世代」という言葉があり一時期かなりの若者がビートルズを聞いていた印象を受けますが、あれは嘘っぱちで、当時ビートルズを本気で聞いていた若者は、全体から見ればほんの一握りに過ぎませんでした。というわけで彼には、同じロック・ファンとしての少数派的同胞意識のようなものを感じていました。今は仕事柄完全に私の方が知識が多いと思いますが(エヘン!)、当時の彼の洋楽ポップスへの情熱たるや本当に凄いものがありました。単にポップス通というだけでなく、「音楽の教科書に載っている曲は何回聞いても覚えられないが、外国のポップスは2回聞けばほぼ歌える」と私に話していたぐらいで、当時からそのボーカル・センスのよさには先天的なものすら感じていました。
高校で「ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というバンドを組み(可愛いでしょ?)、ビートルズの曲を歌っていた頃の彼は、本当にカッコよかった。個人的には、プロになってからのオリジナル曲を歌う彼よりもナイスと思っているぐらいです。彼に対しては、中学時代からロック派としてのイメージが強かっただけに、フォークっぽいトーンのファースト・アルバムを初めて聞いた時は、「彼はひょっとしたらこの1枚で終わるんじゃないか?」と心配したものです。「青空の扉」というアルバムで1曲目に「ビー・マイ・ベイビー」をカバーしているのを聞いた時は、高校生の頃の彼を思い出し思わずジーンとしてしまいました。そんな彼の初期のシングル盤にプレミアが付くようになったのは、いったいいつ頃からでしょうか。当然彼がブレイクして以後のことと思われますが、同級生の私としては、何かこっ恥ずかしいような複雑な気持ちです。



いわゆる人気のあるビッグ・アーティストに関しては、有名になってからのレコードは売れているので珍しくはなく、コレクターがサーチ・ライトを当てるのは、当然売れていない不遇時代のレコード達です。超プレミア盤であるところの荒井由実の「返事はいらない」しかり、RCサクセションの「宝くじは買わない」しかりです。井上陽水のアンドレカンドレ時代というのもそれにあたるでしょう。前回の話で紹介した「マイ・ボニー・ツイスト」も"デビュー前"と"不遇"との違いはありますが、コレクターにとっての魅力は案外似た性格のものかもしれません。現在もJ−POPのトップ・シーンで活躍中のユーミンの場合特に極端で、2枚目以降がほぼすべて並み盤となるのに対して、このデビュー・シングル「返事はいらない」だけは確実に10万円以上の値が付いているようです。
また超レア盤ゆえに仮に見つかったとしても業界関係のサンプル盤であることがほとんどで、某店のオークションに"レギュラー盤"の極美品が出た時、舞い上がったコレクターが50万円というとんでもないビッドをしたという話を聞いたことがあります。私が録音したテープで、浜田省吾が高校1年(1968年)の時に自宅で「レディー・マドンナ」をギター1本で歌っているというのがありますが(浜田君も覚えてないでしょう)、やはりレコード・コレクターは塩化ビニールであるところの「レコード」でなければだめのようです。テープ類だけでなくソノシートや当然のことながらCDなども、レコード・コレクターのコレクション・アイテムとしてはかなりランクが下がるようです。ではそういった不遇時代のレコード達は、いったいどこに眠っているのでしょうか。

不遇シングル盤の代表格



不遇時代の典型的なレコードの1枚、浜田省吾の「愛のかけひき」のシングル盤を私は持っています。オークションで必ず5万円以上の値が付くレコードです。当時レコード店で買った人間からすると、何でこんなレコードが珍しいのかという気がしますが、私が“同級生のよしみ”でたまたま買って持っていたのであって、やはり一般的にみればレアということになるのでしょう。
そこで「不遇時代のレコードは、そのアーティストの出身地近辺の民家に眠っているのではないか?」とすぐ発想したりしてしまうのは、やはり中古レコード業者としての悲しき習性でしょうか。売れない時期そういったレコード達は、親戚縁者はもとより、同級生にも買われたり配られたりすることが容易に想像されます。あなたの町の出身者にそういった不遇時代をかかえたビッグ・アーティストがいれば、コレクターにとってあなたの町は要チェック・ポイントなのです。

サングラスの目が見えることでも人気のジャケット



浜田省吾のシングル盤を求めて同級生にアプローチするという行為には、心情的に何か後ろめたいものを私は感じてしまいます。彼の長かった不遇時代をよく知っています。前身バンド"愛奴"時代にドラムを叩き、「とにかくレコード買って下さい。食って行けないんで・・・」と冗談ぽく(結構本気で)訴えていた姿も、渋谷のライブハウス「ジャンジャン」で当時見ています。それ以上に彼に対しては、"熱い1960年代"を同時に生きて来た仲間意識が私にはあります。高校時代の私が彼にとってどのような存在として写っているのかは分かりませんが、すくなくともビートルズに触発された精神的ドロップ・アウト派(音楽逃げ込み派?)であったという意味で、浜田君と同じだったと思っています。
学校教育に疑問を感じ、1週間近く自宅にこもりビートルズやビーチ・ボーイズを聞きまくっていた(?)のも、彼が高校1年の時でした。その自宅で、彼が生ギターを弾きながら歌ってくれたビートルズの「アイル・ビー・バック」やビーチ・ボーイズの「言わないで」の素晴らしかったこと。音楽シーンでブレイクしビッグ・アーティストとなった今でも音楽性のみならず生き方も含めたそのスタンスをデビュー以来ずっと守り続けている浜田君の姿には頭の下がる思いがします。そんなにレコードの値段は高くならなくてもいいけど、彼の素晴らしさは、もっと多くの人に分かってもらいたいと思います(なんてエラっそうに言いつつ、ハマショー・コレクターに人気のラスト・アナログ「ウエスティッド・ティアーズ」の"レギュラー盤"を最近入手し喜んでいるトホホな私です)。




高2の時に浜田君から借りたレコード

高3の時に浜田君に貸したレコード
両方とも当時は帯なんてついてなかったなあ……